参加者の声【絵が描ける脳をつくる in 北軽 2017】 境界を創る

わたしはデッサンに苦手意識がありました。
測れば測るほどバランスが狂っていきます。
白い画面の上には対象物が歪んで映し出されます。
 
そしてまた、わたしは世界から眼を反らして生きてきました。世界にも人に興味がなく、人の名前や顔を覚えるのが苦手です。

中でも、写真に映る自分を見るのが嫌です。
世界や自分がこうあるべき、という観念にそぐわないものは、切り捨てていました。
わたしは、空想の世界に住んでいました。

今回、対象物を見つめることで、わたしは世界と対峙しました。
瓶の幅と高さの比率が印象と全く違っていることを知りました。鏡に映るわたしの眼の、何と小さいこと!

測りながらも、思い込みが先行してしまい、何度も何度も測り直します。

「目の前の対象とひとつになる」

主観でもなく、客観でもなく、またどちらでもある「中庸」にいる。描くとは、そういう作業なのだと知りました。

粘土で球体を創るときは球体になりました。またそれを描くときも。
画面に真っ直ぐな線を迷いなく引けるようになると、生きる姿勢が変わるそうです。
「うまく引けるかな・・・」という揺れがそのまま線になってしまいます。わたしは、上手く描こうとしていました。

「上手く描こうとした途端に絵は描けなくなる」

わたしを表現することへの気負いが、わたしの創造性を閉じ込めていました。人からどう見られるかという他人の眼の方が幻想でした。
わたしは、わたしのために絵を描いていいのです。 

今回、ドローイングの間に、表現アートが組み込まれていました。見える対象、見えない対象の両方と向き合い、表現していきました。

ネガティブを表現してからポジティブを表現すると、発見がありました。ポジティブが境界を超えて、ネガティブの領域を彩り始めたのです。

そして、ポジティブがネガティブを取り込んで、ひとつの風景になりました。ひとつの風景が、ただただ広がっていました。

わたしは、目の前の対象と向き合う体験を通して、「観照」する視点を得ました。眼に映るものに意味はなく、ただ「それ」なのだということ。そして眼に映らないものも。
 
「境界」
それは概念。存在しないもの。
境界線に意味はなくて、だから境界線を描くとき人は無心になるのだと知りました。

そして、わたしはわたしという境界を創ることで、世界と対峙すればいいのだと。

わたしの空想の世界。 
わたしはずっと境界を描きたかったのだと気付きました。

(40代 女性)

ワークショップ前に描いた自画像
ワークショップで描いた自画像

WORKSHOP REPORT

【絵が描ける脳をつくる in 北軽 2017】
Drawingアートセラピー入門 Self Portrait ~真我を描く

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