禅という生き方

2012年の冬の真っただ中、<禅とアートセラピー>というテーマのワークショップが行われました。
禅という言葉を知っている人はいても、その思想や本質について理解している人は少ないのかもしれません。

禅とは何か?

禅は一言で語れるものではなく、そもそも、言葉で説明がつかない経験が禅なのですから、この問いそのものが、禅問答のようなイメージを伴っています。

禅は、釈迦の教えが中国を経て、鎌倉時代に道元によってもたらされ、日本で根付いた宗教ですが、仏教の一派でありながら、独特な修行(座禅や禅問答)を大事にしているのは、もとはインドの「禅那(ジャイナ)」〜静慮という精神と呼吸の調整に重点を置いた瞑想を行い、神通力を極めた信仰から発展したものだからなのだという説もあります。
表現アートセラピー画像2即ち、座禅のような瞑想そのものが禅か?と問われると、そう短絡的に捉えられるものではないのが禅のようです。
そして、その問いに真摯に取り組んだ哲学者として、高名な鈴木大拙の同名の書がありますが、実際に読んでみても、禅の神髄を経験することは、個人差もあるけれど、やはり難しさがつきまといます。

禅は鈴木大拙によって、欧米に広く知られるようになった歴史があるように、もしかしたら、英語の原文を読んだほうが、現代の日本人にとって、禅をストレートに理解する助けになるのかもしれません。

しかし、私にとっての禅は単なる仏教の教えでもなく、形でもなく、プロセスの始まりと結びにも似た佇まいのある美しい世界として存在しています。
私自身がとても若いころ、禅の思想に触れ、宗教的な見地ではなく、その世界観を身につけたいと願った時期がありました。もちろん、出家することなど現実的ではなかったのですが、もしもその当時、自分が男だったら、本気で寺の門を叩いていたかもしれないとさえ思えるほど憧れた世界だったのです。しかし、実際にその厳しい修行を耐えられたか?といえば、きっと1日で後悔しただろうという想像は難しくありません。苦笑
日本人にとって、禅についての知識が広まっていないようでいて、その精神は文化という歴史の中で深く関わり、息づいているようです。

たとえば、茶道、剣道、弓道、華道、香道など。「道」の付くものは、禅の心を全うすることが道を究める礎となっています。
これらに共通しているのは、一事を極めて、高い境地に達する、ということをよしとしている点です。

表現アートセラピー画像3この自由という自在の対局を行う修練の場が、自らの心の探究と真理を見いだす機会となります。自由自在であることはすばらしい境地であるのですが、自分が何かを探求したり、困難を乗り越え、新境地を見いだすためには、一旦、古い自分自身を手放す必要があります。
いわゆる修行のような物事への取り組みが功を奏することがあるのです。

こんな風に書くと、まるで私が修行を提唱しているみたいで、恥ずかしいのですが、私自身は何かを繰り返したり、習得するのが苦手な質なのです。だから、反対に憧れもあるのかもしれません。
自らのエッジを超えて、新しい自分自身に出会うこと自体、とてもワクワクするプロセスです。苦行は好きではありませんが、そんなワクワクをともなった修練であれば、コツコツ無理なくやってみたい気はします。

禅には厳しい修行のイメージがつきまといますが、禅の教え自体は自由で、在るがままという基本となる考えが息づいています。
禅即ち此心なり、という教えもあるように、心自体がつかみ所のない霞のようなもので、その心を観る関わりを禅とするならば、私達の人生そのものが禅なのかもしれません。
この心の有り様を観るという禅の思想は、ゲシュタルト心理学を生み出したフリッツ・パールズに影響を与えたと言われています。

表現アートセラピー画像4この「ものの見方」はすべての意味を変化させる力があるのです。
観る場所(視点)や速度によって、理解する内容が異なってくる。
自分自身が抱えている問題も、それを観る見方が変わり、観る時間が変わるだけで、まったく違う経験をするかもしれないのです。
つまり、悩みも悩みでなくなる瞬間が在るということ。

私達人間がいかに、偏った思い込みによって苦しみ、自ら強いた制限から逃れられずに生きているのかを気づかされるのも、禅やゲシュタルトセラピーの智慧に触れる機会があるからでしょう。

臨済宗という禅の修行の中に、公案禅という、いわゆる禅問答があります。禅問答といえば、答えのない問いの答えをひねり出すというイメージがありますが、アートセラピーのワークをしているとき、この公案をよく思い出します。アートワークのテーマは常に、答えのない問いと向き合う時間に似ています。突き詰めると、エッジに行き着くし、頭で出した答えを表現しても、何か空しさがつきまとうことから、この問いとどうつきあうか?が大切な鍵となってくるのです。

今回の<禅とアートセラピー>というテーマは、答えの無い問いと向き合う静かな3日間となりました。

表現アートセラピー画像5呼吸とともに幾重にも描く円。
一期という人生の時間を描く一筋の線。
自分とは誰か?という問答。
輪廻を表す円を廻り歩く瞑想。

禅は考えるのではなく、ただ経験するそのプロセスそのもの。
皆、それぞれの「いま、ここ」に生きる醍醐味を味わい、経験という悟りの一滴を受け取ったのではないか…。

真剣に筆の一点を見つめるその表情から、そんなふうに私は想像したのです。