参加者の声【ファシリテータ養成講座 2016 vol.2】-2

まともに絵を描いた記憶の最後は中学の時の写生かもしれない。ただ絵を観るのはわりと好きだった。アトリエワイエスの「表現アートセラピー」のワークショップに参加したのは、連れ合いが行くので「じゃあ俺も・・・」的な軽い気持ちで。

まず今の感じ・気持ちを絵にする。何が出てくるか? と思ったら意外とすーっと出てきて自分で驚いた「なんかこれおもしれーっ」。パステルで描く、太いのと細いの。太いほうが描きやすいと思いそればっかり使っていて、後で聞いたら、太いのはクレヨンだった。クレヨンとパステルの区別知らなかった。

その時々の感じの絵を描きワークをする。2~3人のグループでのワーク、若い時はグループワークというのがとても苦手で始める前からおじけづいていたが、今回はとっても楽しかった。こういうことは年月が解決するのかな? 人と関わる、しかもセラピーワークという条件付けの中で関わるということは、日常を脱け出しているのでとっても自由だ。相手の表現をある種の驚きの中で感じられるし、自分も表現するまで何が出てくるのかわからない部分がありスリリング。それがお互いに絵を描き合いながらだと、なおさらストレートに響きあう。

就農する前だから二十数年前に、当時の精神世界の瞑想セラピーを何度か経験した。その後その手のことからずっと遠ざかっていたが、昨年あたりから「こころ・魂・身体と世界」みたいなワークがやってきている。兆候としては3.11後からあったのだが、この流れに乗っていこうと思う。

その後、同じアトリエワイエスの「ファシリテーター養成講座」に参加した。同じように絵を描き表現していくのだが、より自分の深いところにフォーカスしていく。そして相手の深いところにもフォーカスして流れがよくなるようサポートする。ファシリテーターって、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の主人公がしたいこと、「子供たちがライ麦畑のなかを走り回っているとき、ぼくは畑の隅で子供たちが崖から落っこちないように見守っていること」(このままの文章ではありません)みたいな感じかなと思った。

自分の深いところの色んな顔を意識に上げていく作業。ある時はとても不快であったり、思いもかけぬ感情が出てきたりもする。でも、この体験はワーク後もずっとつづくというか、深化していると感じている。それぞれのワークの前あるいは後で絵を描くのだが、絵って無意識が自分の目の前に出てくるということでもあると思った。自分が描いているのに「えっ、誰が描いているの」と思う瞬間がある、そして色も。

今まで絵をほとんど描いてこなかったくらいだから、色についてもあまり意識を向けたことがなかった。このふたつのワークで、色に対する自分の感覚や感情や意志みたいなものがあるのだと発見した。ワークが終わり、家で風呂に入っていたら突然壁に色が出てきた(幻覚ではありません)。絵を描く人って色に対していろいろ豊かな感性を持っているんだろうなあと尊敬した次第。

最後にグループでひとつのワークを作った。これがとっても楽しかった。内容はベテランの方と組んだので私はおんぶに抱っこだった。一緒につくり上げる過程は初めての体験で、しかも今回初対面の方だったのだけれど、つくりあげていく中でもうずっと前から親しくしている人のように思えて、それはもう楽しく、新鮮な体験だった。

ワークのあと、絵に目覚めた。さっそくスケッチブックとパステルを買い求めたが、買ったのがオイルパステルというやつで、クレヨンみたい。そんな話をしたら絵を描いている友人がパステルをプレゼントしてくれた。ありがとう。

そして、ふたつのワークを共にしてくれたみなさん、ありがとう。
おいしいごはんとスタッフのまいこさん、えりこさん、ありがとう。
アトリエワイエスの吉田エリさん、とってもとっても あ・り・が・とー!!

(50代 男性/農園経営)

■ ワークショップデータ