極上の夏休み3~本当の自分を見つける旅にでよう

ところで、マインドフルネスや瞑想がこれほど重要視され、流行初めているのは何故だと思いますか?それは、単にストレス発散や集中力がつくだけではなく、瞑想が本当の自分と繋がることができる手段だからなのかもしれません。

瞑想やドローイングなどのマインドフルネスの状態とは、簡単に言えば「集中するための極意」です。または、「集中しないと達成しない方法」とも言えます。

究極を云えば、「雑念のまったくない真理に辿り着くための方法」なのですが、そんな離れ業が出来る人とは、仏陀のような悟りを開いた人か仙人ぐらいかと思えます。

しかし、誰もが、生まれた時には、純粋な真理の状態で生まれてきたのです。つまり、だれしも生まれながらに仏陀だったり仙人だったりしたのです。 生まれたての自分は、何の思考もなく、純粋な生(軸)と共にありました。やがて、育つ過程で、あらゆる掟(観念や、常識)を教え込まれます。
時には、自分の好き嫌いまで決め込まれてしまうのです。そこで、本当の自分が次第に無くなって行きます。素直で従順な人ほど、自分を明け渡してしまうケースも少なくありません。

そうやって人は、「自分軸」というものを失ってしまうのです。自分軸を失っている人は、絶えず人の言葉や決定が気になります。自分自身で考えるよりも、外側の情報や指示が重要であるような気になってしまうのです。

情報は、知れば知るほど知りたくなり、やがては、その情報に振り回されてしまいますが、そんな自らの状態に気づくことは難しいでしょう。

本当に自分が大切にしたいこと、望むこと、好きな事が解らないという人が増えているのはそんな理由からかもしれません。これは、どこかから聞いた情報ではなく、私自身が人と会う毎に気づくことです。

多くの人々が自分の本当に望む生き方が出来なくて苦しんでいました。誰もが、望まないけれど安全な生き方を選んでいるからなのかもしれません。

それは、もしかしたら、「望む生き方は安全ではない」「好きなことをして生きるのは無理」という社会通念に従った結果ではないでしょうか?

情報とは、もともと自分のものではなく、他者の意図によって生まれているものです。それは、善意の意図もあれば、戦時下のプロパガンダ(情報操作)の場合もありますが、そもそも、情報とは何かの(誰かの)意図が反映したコントロール(操作)のエネルギーに満ちているものだと私は思うのです。

たとえば、親が子供に苦労してほしくないために、勉強を強いることは、本当に良い情報(真理)なのでしょうか? もしも、子供が幸運にも勉強が好きなら、それは良い情報になるかもしれません。しかし、まだその子が、勉強に興味を示していない時ならば、それは「勉強とは苦痛だ」という意味付けを植え付けてしまう情報となってしまいます。

本来、勉強することに善し悪しはありませんが、自分軸がまだ確立することが出来てない子供にとっては、教え込まれる情報をよしとする姿勢、つまり「自分軸を作れない状態」=「他人軸で生きる状態」に追い込まれてしまうのです。

「勉強は苦痛だ、嫌いだ」という偏った考えを持てる子供は、まだ自分軸を築くことができはじめているのかもしれませんが、嫌いなのに好きだと思い込んで生きている子供は、やがて自分の軸を見失い、空虚感にさいなまれる結果となってしまうのです。

マスメディアに至ってはどうでしょう?
テレビや新聞などの情報は真理なのでしょうか?

現代は、SNS(ツイッターやフェイスブック)などの情報も加わり、何が真理なのか解らない世の中になってきたように感じます。
東日本大震災の時に、ツイッターの情報が役立ったことで、政府の情報やニュースの真偽が問われ始めるようになりました。
しかし、そのSNSの情報にしても、すべての人にとって良い情報かどうかはわかりません。
※蛇足ですが、イギリスのEU離脱には、SNSを介して流された情報によって可決された後、それが偏っていたものだったと発覚した経緯があるそうです。実際この情報も、私が自分で見たり、聞いたものではないので、正しいのかは解りません。

このような生き馬の目を抜くような現代において、何を信じたら良いのか、解らないカオスの場に生きる私達にとって、周りに振り回されず、自分自身を探究すること(SIYSearch Inside Yourselfは、とても大切なことだと思えるのです。

自分にとっての真理は一つです。
しかし、人の意識が無数にあるとしたら、真理は一つではなく、無数にあると言えます。
その無数にある真理の正誤を戦わせるほど愚かになる前に、自分の真理を確かめることが大切です。

真理とは、教えられるものではなく、経験から学び、思い出して行くものです。そして、経験とは感性や感覚を十分に活性化し、受け取られた情報が真の経験となります。
それは、身体を自由に動かした時の解放感や、自然の中で過ごす安堵感、お気にいりのお茶を飲む瞬間、無心に絵を描いた後に満足感、など人によって異なります。

ただ、その瞬間を自分が経験し、自分にとって何よりも大切にできる感覚なのだと知っていくことが大切です。

その一つ一つの感覚がやがて自分の価値観(自分軸)となるのです。

それは、誰かから教え込まれたものでもなく、誰かに勝ったり、自分を守るために出来たものではありません。
そして、それは誰かに押しつけるものではなく、自分のためだけにあるもの。

この夏、自分のために本当の軸を見つける探検の旅に出てみませんか?
きっと、忘れられない極上の夏休みとなるはずです。

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