生きること

表現アートセラピー画像1秋の庭で、黄色い落ち葉を夢中で啄む美しい鳥たちの姿を見つけました。おそらく埋もれた葉の中の虫や植物の実を探しているのでしょう。
見慣れたアカゲラとは違うその鳥たちが、色づいた木々の枝へと、この数日やってきます。
何度もこの北国の秋を過ごしているのに、見たことがなかったのが不思議なぐらい。
冬を迎える前のこの時期は、鳥や動物たちにとっては生きることに真剣になる季節なのかもしれません。
例年よりも美しく色づいた森の中に佇むとき、山ももう暮れていく準備をしているのだなあ…と振り返りはじめています。

今年の後半は行き着く暇も無いほど、充実しているのか忙殺されているのか解らないほど、目まぐるしいエネルギーの変化を感じていました。

振り返ってみると、今年はいろんな場所や人とコラボレーションしてワークショップを提供する機会に恵まれました。

表現アートセラピー画像28月の小嶋さちほさんとのソウルボイスのWSに引き続き、9月にはボディワークのスペシャリスト(栗澤文恵さん)とのコラボレーションや、10月の前橋サンデールームでのマインドデトックスのワークなど、私にとっては新しい体験が続きました。
そのせいか、いつものワークショップが新鮮なものに感じられ、あらためて「やっぱりワークって楽しい!」と再確認できた時間となったのは収穫でした。

それぞれのワークショップが皆どれも素晴らしかったので、その都度フィードバックしたいと思いながら、気づくと次のワークの準備に追われて、ブログも書けずにいたのです。

あまりのめまぐるしさに、私は生きるためにワークを提供しているのか?はたまたワークを提供するために生きているのか?わからなくなるほど余裕なく過ごしてはいましたが、あらためて生きる意味について自問する機会に恵まれたような気がしています。

表現アートセラピー画像4生きることは、面白いと思います。
だから、いつも本気で行きたい(生きたい)と思う。
日常の様々な出来事や人との関わりは、楽しいことばかりではありませんが、私にとってすべてが興味深いハプニングです。おかげで退屈する暇がありません。
つまり、本気を出す必要があるのです。

それでも、たまに「なぜ生きているんだろう?」とか、「何のために自分は生きているんだろう?」と解らなくなる時があります。

突き詰めて考えてみても、結局は「生きるために生きる」という答えしか見つかりません。生きることは私にとって、それ自体意味のある事だからでしょう。結局は、何をしていても、どんな生き方であっても、意味があると思えるのです。

そして生きる意味をこんなふうに自分に問い続けるのは、大切なのだとも感じているのです。
時々、こうして立ち止まり、自分は何故生きるのか?何のために生きるのかを問いかけると、今をリセットすることができるから…。

表現アートセラピー画像3そうして最近思ったのが、「生きるとは、変化そのもの」だということ。
変化するために生きる。変容するために生きる。生きることは、変化の連続。

しかし、気づくと変化を拒む自分がいます。
変化を求めながら、変化が起こると身体をこわばらせ、なんとかいつものモードを取り戻そうとしているのです。

しかし、生きることが変化なのだとしたら、変化を拒んでいたら生きることを否定してしまうことになります。この抵抗感が、望まない感情を生み出し(本当は感じたいのかもしれませんが)その感情すら否定し、気づかないふりをしているのです。
こんなことでは、本気で生きていることにはなりません。

表現アートセラピー画像5本気といえば、思い出すのがワークショップの現場です。
ワークショップはそれこそ、変化の連続だから。
プログラムは変化し、参加者の心も大きく変化します。そして、ワーク後の人生もさまざまに変容して行きます。
そんなエネルギーの流れに乗るために、誰もが本気になるのです。

生きることへの意味を問い、心を見つめることを決心したひとたちは、
皆、真剣に自分と向き合いはじめます。
その姿を見守る時、いつも私は感動し、ありったけの勇気をもらうのです。

そんなわけで、どんなに忙殺されていても、ワークショップの場にいると、力を失うことはありません。
それよりも、バランスを崩して居ようと、パワーダウンだろうと、不思議にファシリテーションを進めていると、元気が出てくるのです。

「生きていて良かった」例外なく思います。
本気の人達と居ると、自分も本気になれる。
反対を言えば、私が本気で生きていないと、ワークに集まってきてくれる人達と向き合えません。

表現アートセラピー画像6「何のために生きるのか?」
今聞かれたら、「自分を表現するためだ」と答えるでしょう。
自分を表現することとは、本音を探すことであり、真の自分に出会うことであり、本当の自分に成るということなのかもしれません。

すると、今の私にとって、この表現アートという生業はとても理にかなっているような気がして、そう思えば安心している自分が可笑しくなります。人間、皆自分がやっていることが間違っていてほしくないと願っているのでしょうね。結局それも、今を変えたくないという変化への抵抗なのですけど。

また話が振り出しの戻ってしまいましたね。(笑)

人生は川の流れにたとえられますが、人も生きている限り変わって行くのです。
変化を感じるとしたら、それは自分が止まっているからです。
川は流れと共に在れば、流れていることさえ気づかないから。
私は人生をそんな風に生きたいと思いました。
生きていることさえ気づかないほど、夢中で生きたいと。

流れに乗るとはそんなことかもしれません。