参加者の声【Creative Drawing 2018 in 北軽井沢 vol.2|Self Portrait ~真我を描く】リメンバーミー

リメンバー! リメンバーミー!

私の辞書にはカタカナ英語しか載っていないが、
ワーク中このフレーズが点滅する光のように脳内でリピート再生されていた。
思い出す。忘れないで。・・・何を、だろう。
確かに、ワイエスのワークショップに参加し、大いなる安心感に包まれる度に抑えがたい郷愁に駆られる。
ここではないどこか、それは私達が肉体というヴァイブレーションを放つ。もっともっと前の記憶に触れたような感覚。
私はそれを知っている!もっと深く繋がりたい!という衝動にも似た激しい感情と同時に、生命エネルギーが湧き上がってくるのを感じる。本当の私を見つけたから・・・?

人は何故描くのだろう。
描くという行為は創造であるに違いないのだが、生き方、人生そのものの創造と同義ではないか。
まっさらな画用紙に、鉛筆の炭素濃度を変えながら少しづつ手を加えて行く。
手を加えた瞬間、画用紙上に変化が起きる。その一筆は正しく対象を捉えているのか?怖い。手が止まる。
描く事についてゲシュタルト崩壊が起きる。疑念が湧いて進む方向を見失う。
暗闇でヘッドライトをハイビームで一人走るような、孤独。
・・・一人?いや違う。その度に軌道修正してくれる存在(講師二人)に導かれていた。

とにかく夢中で、美も醜も輪郭線も境界線も光も影も内包しながら、悩み立ち止まり転げ回り画用紙と向き合う。

私達は同じ目的を持ってそれぞれの5日間を過ごした。
文章、会話、色、音、味、香り。全てがギフトだった。
最終日、画用紙に浮かび上がるように描かれた自画像達は、
ヘッドライト、サーチライト、インナーライト・・・
それぞれのライトに導かれながら描いた、生きた証そのものに見えた。
ラスコーやショーヴェ洞窟に描かれた動物達を初めて見た人類は、
それを神の所業と思ったであろう事は想像に難くない。
だって何も無いところから象(かたち)が飛び出して来たんだもの!
松前藩家老であったある絵師にとって、描く事は祈りだったという。
創造とは、崇高な高みと繋がる一つの体験なのだと改めて思った。

帰宅してから眠れぬ夜にワイエスのSNSを初めて覗いた。
過去のワークショップの膨大な数の写真の中に、ちらほらと自分の創作物が映っているではないか。
「見つけた!」
私はそう叫んでいた。それらは他でもない私に見つけて欲しくてそこでずっと待って居たように見えた。そうか、自分を見つけに行く事はこんなにもわくわくするものなのか。
ただ、見つけに行けば良い。
冒頭のメッセージの解が出た気がした。

余談であるが、私は今回のワーク中に姫と呼んでもらった。
幼き日母から憎々しげに「どこの子ずら(ずら=だろう)?」とよく言われた。どこのお嬢様か、と。
私のあまりに浮世離れした言動態度に、うちの子ではないという異質感があったのだろう。
私もどうしようもない疎外感に耐える事に慣れようとした。
望んではいけない、けれど望んでしまう。
私の長年抑圧してきたインナーチャイルドをあの方は敏感に感じ取って、掬い上げてくれたのだ!
その事に、しばらく経ってから気付いた。
いつだって「その瞬間」から離れた時に重要なメッセージに気付く。

何度でも思い出せば良い。何度でも。
そうしたらまた進めるから。
信頼する事、委ねる事。
私はずっとここに居ます。それを忘れないで。
そう言って、またお会いしましょう、と別れを告げる声がして目が覚めた。
そんな夢を見たような経験でした。

またお会いしましょうね。

(求道者・女性)

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