極上の夏休み

山から海へ。
私にとっては、どちらも自然なのですが、海(鎌倉)のほうがやはり都会です。本屋さんもあるし。(笑)

テレビや新聞を日頃見ない生活をしていると、巷で何が流行っているのか知らずにいるのですが、山から下りて海に戻ると、情報や文化的なものに触れる楽しさを思い出します。

久しぶりに本屋に立ち寄ってみると、マインドフルネスの本が平積み(というか、山積み)になっているじゃありませんか。
へえ…。瞑想じゃなくて、マインドフルネスか。
これから夏休みだから、ゆっくりマインドフルネスなのかしら。

日本人なら瞑想や座禅のほうが馴染むのかとと思いきや、若い人達や現代人にとっては、マインドフルネスのほうが身近に感じているのではないでしょうか?
むしろオウム事件以降、現代人やスピチュアルなことが苦手な人にとっては、瞑想やら座禅のほうが、敬遠されるものになってしまったのかもしれません。

マインドフルネスって、簡単に言えば瞑想状態となって「いま、ここ」に意識を集中すること。
亡くなったスティーブ・ジョブスが瞑想や禅に心酔していたことは有名ですが、世界的企業として名だたるグーグル社も、心を見つめるマインドフルネスを応用したプログラム<SIY=Search Inside Yourself>を取り入れるなど、今やビジネスの現場や世界のエグゼクティブにも大人気となっています。
※ちなみに、立ち読みしたホリエモンの本の中でも絶賛されていました。(笑)

「わかりづらい」「怪しい」などという偏見に満ちた禅や瞑想が、マインドフルネスという新しいパッケージとなって現代の日本に逆輸入されたことは、日本人にとって朗報なのではと、蔦谷書店に山積みとなった本達を眺めながら思いました。

瞑想の効能や良さは周知のことなので詳細を省くとして、SIY(Search Inside Yourself)のタイトルにもあるように、「自己の内面を探る」という作業は、とてもリラックスし本来の力を発揮する基本だと云われています。実際に、脳科学の理論によると、人間は思考している時はもとより、ぼんやりしている時にも驚くほどのカロリーを消費しているそうです。
つまり、どんなに身体を休めても、脳が休止しない限り、本当の休息にはならないということ。
だから1日中寝ていたのに疲れてしまうことってあるのですね…。

さて、最近このSIY「自己の内面を探る」の大切さを感じることが良くあります。
人間はいつも、そしてつねに、自分の外側に意識を向け続けていることによって、様々な問題やストレスを創りだしています。つまり、意識を外面ではなく、内面に向けることであらゆる問題を解決する可能性が高まるということなんです。しかも、超簡単に、人の手も借りずに、お金もかからずに…。

しかしながら、この瞑想~マインドフルネスがエゴの意識にとっては、大変な脅威なんです。だから、皆さんは瞑想が役立つことを知ってもなかなかやれないし、続けられないのです。

なぜ、脅威なのかというと、エゴ(自我)の滅却が瞑想の基本だから。自意識が高まる状態とは、自分の欲求を満たすために四六時中考え続ける状態のことです。
思考(特に心配事)はエゴの美味しいご飯のようなもの。
それが食べられないとなると一大事です。無意味→退屈の極地→自己の喪失→防衛本能が発令(自動思考)が始まります。
座禅していても、雑念が晴れずに諦めてしまう人や、一回は体験したことがあっても、続けることは難しいのはこのためです。

しかし、いきなり瞑想したりマインドフルネスを知らなくても、自分の内面に集中することが出来る良い方法があります。
それは、思考を観察したり、感じることを楽しむこと。ただし、楽しむといってもどうしたらいいの?と思う人は多いかもしれません。だいたい、座禅など苦しいじゃないですか? 1時間も黙って座ることが出来る人なんて、そうそう居ませんし…(と、思いたい。笑)

実際、私も実際に瞑想を始めたとき、無に集中することが難しくて何度も降参したものです。それでも、瞑想やマインドフルネスの大切さは何百冊と読んだ本の中に説かれていたので、試してみる価値があると思い、探りながら、続けながら気づいたことがありました。

それは、無になる難しさに固執しなくていいということです。よく、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という諺がありますが、瞑想したらすぐにそんな境地に至れるわけはありません。無になるろうとするから無になれずに苦しむのです。 苦しむことから解放されるために瞑想しているのに、これじゃ本末転倒ですよね。

では、どうしたらいいのでしょう?

答えはシンプルです。
無になることなど忘れたらいいのです。

エゴは何か意味のあることをやるのが好きです。無意味な事(例えば、ただ座るとか、眠くもないのに目と閉じるとか)が嫌いです。退屈しちゃうからです。

では、退屈しないことをしながら瞑想するにはどうしたらいいのだろう?
そう考えていた時、絵を描く時に起こる集中状態のことを思い出しました。無心になって絵を描く時や、創っている時、人は集中し脳がアルファからシータ波の状態になると云います。これがいわゆる瞑想の状態に近いのです。この効果を使って、自己の内面にフォーカスして行くことで意図も簡単にマインドフルネス状態が保てるのです。

20年近く前、右脳で描くというドローイング法を教えているときのことです。
社会人の生徒さん達が仕事帰りにやって来て3時間ほどスケッチして行くのですが、ほとんどの人が、来た時とは打って変わって元気になってしまうのを目の当たりにしたことがありました。終了するのは夜の10時すぎ。仕事を終えてから3時間集中するなんて、本当ならそうとう疲れてるはずです。しかし、不思議なことに、皆とてもリラックスして、絵を描いた日は良く眠れると云っていたのです。この時、絵を描くことが癒し、リラクゼーションなのだと知りました。

意図的に描く(または、その他の表現方法を使う)ことで、脳が左脳から右脳にスイッチして行きます。そして、その状態を継続することで瞑想の領域に苦労なく移行することができるのです。
実は、巷で絵を描いたり、手芸をしたり、お習字したり、ダンスしたり、水泳したり、ジョギングしたりしている人達とは、知らない間に右脳を使い、マインドフルな状態を楽しんでいると云うことなのです。だとしたら、案外簡単に「無我の境地」は手に入りそうですね。

絵を描くこと、声を出すこと、身体を動かすことは、右脳を活性化します。つまり、表現アートのアプローチは、とてもマインドフルネスと仲良しということのようです。 この事に気づいてから、私自身の瞑想も楽に、自責的からも解放され(「またお前は、ちゃんと瞑想できなかっただろう!」という声からも解放され)楽しむことが出来るようになったわけです。
※ちなみに、私は「考える瞑想」が好きです。

絵を描く、身体を動かすといっても、上手くやる必要はありません。
リラクゼーションのための描画法やボディワークはとても簡単。時間も場所も選びません。
今までの苦労や頑張りはしばらく脇に置き、古いマインドにはお休みしてもらいましょう。

そういえば、もうすぐ夏休みですね。
みなさんもこの機会に極上の休息を取ってみてはいかがでしょう?
そのシンプルなアプローチやヒントは次回のブログでご紹介して行きますので、どうぞお楽しみに。

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