アートの境目〜大地の芸術祭 アートトリエンナーレ

雨模様の北軽井沢を後にして県境の長いトンネルを抜けると目が醒めるような青空だった。
ふと「雪国」の冒頭の一節が頭に過ぎり、小説家は暗闇から急に現れた光る雪景色を見てあの一節を書いたに違いないと思った。
刈り入れを待つ棚田の稲穂は、そろそろ緑色から黄金色に変わろうとしている。
これが冬だったらどんなに美しいだろう…。

越後のアートトリエンナーレ「大地の芸術祭」を見に出かけて、はじめに心を奪われたのは、忘れかけていた美しい日本の田園風景だった。

トリエンナーレとは、3年に一度開かれる美術展覧会のこと。昨今、日本でも大規模な芸術祭が行われるようになったことは、うれしい変化だと思う。

特に2000年から始まった越後のトリエンナーレは規模が大きく、作品も広範囲にわたって点在している。作品群に導かれるうち、越後の自然の風景を味わうことができるというお土産がついてくるのは魅力だが、おそらく来場者はそのすべてを鑑賞することは難しそうだ。

私は、その全貌を把握することはあきらめ、まずこころ惹かれる作品を無作為に選んで廻ることにした。
世界的に活動しているアーティストの作品もあったのだが、最近のアートシーンに疎い私は、興味をそそられるものや、面白そうなもの、感動するものを探した。

印象に残ったものは、どれも風景や展示されている家屋に溶け込み、その場所と調和しているものだった。こうしてみると、アートって過去のルネッサンス時代と比べてみると、大きく変わってきたのかもしれない。

芸術とは? 美しさとは? 表現することとは?
あらためて反芻する機会を与えてくれる時間だった。

楽しかったのは、どれも触れられるほど身近に鑑賞できたことだった。日本の美術館ではそうは行かない。ガムを噛みながら入場しただけで注意されるほどなんだから…。

やはり、アートは鑑賞する人と作品との垣根をとり払って同じ次元に置くことがエキサイティングな発見へとつながるのだろう。

こうして表現することや、アートが身近になることをいつも私は望んでいる。アートは売り買いする商品ではなく、コミュニケーションの手段として、感性を磨く道具となることが望ましい。

そうしたら、もっと表現アートも身近に体験したいと思う人も増えるのではないだろうか。表現アートのワークショップに初めて訪れる人達がよく口にするのが、「アートへの敷居の高さ」だった。

皆、日頃は絵を描く事など無く過ごして居る人が多く、表現することへの興味や欲求はあっても、どこか思いとどまってしまっていたという。しかし、実際にワークを体験する人のほとんどが、子供時代の解放感や遊び心を思い出し、活き活きとしてくるのだ。
それは、創造性や在るがままの表現をまったく評価されたり、値踏みされたり分析されたりしないからだと思う。

創る人と見る人の「境」が無くなり相互に繋がることが出来る世界。そんな場がこうして増えている。
アートが観るモノから、体験するものへと変化して行く未来はもうすぐなのかもしれない。

大地の芸術祭は9月17日(月)まで、新潟県十日町にて開催しています。この連休にぜひ越後の空気と大地のアートを堪能してみてください。
※個人的には、「へきそば」をぜひ体験してください。激ウマです。(笑)