寂・・ふたりきり〜寂しさと悟り(2/2)

人間関係でわだかまりをつくってしまった原因は、寂しさだった。

思えば寂しさは、私の苦手な感情だったのだが、私はあの時、関係が壊れる「寂しさ」を感じていたのだろう。
しかし、それを認めたくなかったので、感情が起こるきっかけとなった対立や葛藤の方に向けることで、感情を見ないようにしていたのだ。

しかし問題は、否定的な感情ではなく、原感情から目を背けていることにあった。

さては、この手強い<原感情~寂>との良いつき合い方はないものだろうか? 思えば、多くの人が寂しさを怖れているのだが…。

孤独や疎外感そして分離感。
しかし、そこから怖れ逃げていても問題は解決しない。

なんとか、寂しさを克服する方法はないものだろうか?

そんなことを思いながら、本屋でぶらぶらしていたら、ビートたけしの「さみしさの研究」という本を見つけて立ち読み(笑)
が、内容は、歳取ったら、人間だれもが寂しくなるものだから、開き直れ…というような内容に疑問がわき、途中で立ち読みを断念。

がっかりしていると、不意に茶道のことが脳裏に浮かんで来た。

寂しいの「寂」と云えばお茶でしょ。

日本人で千利休を知らない人は少ないだろう。
彼こそ、「寂」と深くつきあった人に違いない。

茶の湯を極めた千利休が伝えたのが詫・寂の精神である。

彼の美意識や思想は、(当時の)安土の華やかな文化的価値観に一石と投じたに違いないが、利休がこの精神を重んじたのは単なる美意識の刷新だけに留まらなかった。

利休は、安土桃山時代に臨済宗に参禅し、茶道の心を確立したと言われている。文化的な才能や美意識の高さもさることながら、その精神性は仏門に帰依する人をも凌ぐレベルだったらしい。

「美は私の決めること」

これは、映画「利休にたずねよ」の決め台詞だが、詫寂という究極の苦を極めた千の利休とは、まさに人間美の下克上を生きた人だった。

かっこいいなぁ……(  ̄- ̄)トオイメ

それにしても、茶道の心得がある人にとっても(無い場合は特に)この詫・寂(わび・さび)を明確に説明することは難しいようだ。

敢えてwikiを調べてみれば…。

<詫>は、「貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識」を指す。「わぶ」という意味には、「心細さ」「閑寂」「不足」を含んでいることを考えると、飽食の現代人にとっては、苦しみの原因となる状態だろう。 もう一方の<寂>には、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」とされる。

「さび」には、時間の経過(劣化)と、人が居なくなって寂れた静けさを含んでいることを考えると、これもなかなか歓迎できない状態と云える。

怖れの核となる原感情、「詫びしい」「寂しい」
これを克服する最大の方法は、感情に抵抗せず、見つめることにある。それ自体に「美」を見いだせば怖れるに足らなくなるはずだ。つまり、利休は究極の状態に美や味わいを見いだすことで苦を楽に変える錬金術を見いだしたのではないだろうか?

茶の湯の開祖を錬金術師と呼ぶなど失礼な話だが、誤解を怖れずに云えば、利休という美術家は、釈迦が示した人間の苦<生老病死>を、忌み嫌うのではなく、研ぎ澄ますことで美という悟りを得た人生のスペシャリストなんだと思う。

ちょっと、強引かもしれないけど、こんな妄想を描いていたら、寂しさがぐっと身近になって来る。

そして私なりに、この<寂>について探求してみて気づいたのは、この世界で出会う(一期一会)人間関係の儚さ(はかなさ)や刹那の美しさだった。

人間は時と共に変化し、成長する。
昨日の自分と今日の自分はまったく異なる存在だとする説もあるが、人間は細胞レベルで変化し、思いも変わるのだから不思議ではない。

それなのに、関係にしがみつくのは人間の性(さが)である。
だから、寂しく切ないのだ。

だからと云って、関係を断ったり、持つことを初めから拒否することは、寂しさを愛でていないことと同じだ。

ならば、寂しさや切なさを味わい尽くすという利休の精神に習ってみたらどうだろう?
刹那とは、一期一会のような一瞬であり、その寂しさや切なさを味わうことに究極の美しさがある。

そう気づくと、前回の拙稿に記した「刹那」への否定的な意見をここで修正しなくてはならなくなった。

前回のブログで、刹那という表現を、「いま、ここ」に言い換えたほうが良いと書いたのをここで撤回したい。

「人生とは刹那の連続」というアドラーの言葉は、諦めの境地ではなく、在るがままを受け入れる境地から残した言葉かもしれない。
刹那と切なさの意味は異なるが、なんだか共通するものがありそう。

そんなことを思っていたら、ふと手にした本にこんな一文があった。

切なさを感じながら、そこから背を向けないでいられること。
それが、目覚めていること。
ただそのままでいるための超簡単指南~より)

なるほど…。
切なさ(寂しさ)と刹那に精通すると覚醒できるのだとしたら、もう寂しさを怖れる必要など無いのかもしれない。(完)

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