【最終話】タオと私 – 月の秘薬アヤワスカと太陽の妙薬サンペドロを辿る

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アヤワスカの旅から戻って、しばらくの間、私は本当に空っぽの状態になっていました。理解を超えた体験は、まるで白日夢を見ていたような感覚で、夢とも現実ともつかない記憶として心の中でモヤモヤと燻ってました。それでも、日々は過ぎて行きます。私はまるで夢遊病者のようで、雲のように現れては消えて行くとりとめのない感覚に戸惑っていました。

そんな時、読み残していた本が気になり再び読み始めることにしたのです。
それは、ノンデュアリティ/非二元(※) について書かれた本でした。
(※)「非二元」は、「二つではない」という意味のサンスクリット語「アドバイタ」を翻訳した意。自我意識が滅却した悟りの境地を示す概念。
表現アートセラピー画像2その本を読み進めるうちに、以前は頭で理解していた内容が、不思議と腑に落ちてきたことに気づいたのです。これまで自分が体験したことや、ペルーでの出来事や今の意識の状態のことが言葉になって説明されているようでした。それは、まるでばらばらになったパズルのピースの一つ一つが、戻ってくるような感覚でした。
タオや禅も、元を辿れば非二元を表したものです。言葉や表現は異なりますが、皆一つに繋がっていることをあらためて納得させられたのです。

悟りの境地である非二元を、言葉で説明することは難しいと言われています。私が理解をしている範疇で表すとしたら、 「在るがままのすべて」「体験の主体と客体との境を取り去ること(悟り=差をとる)」という表現が近いでしょう。それは、あたかも「自己」という存在が消滅する瞬間です。自分が存在しないとしたら、自動的に体験そのものも消えてしまうことになります。出来事は、現れては消えていく現象でしかありません。その出来事に対して、あらゆる「意味=ラベル付け」をするのが、自我(エゴ)ですが、エゴは、自分の生き残りのために、様々なプロット(物語)を組み立て、感情を揺さぶります。

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人間は、無意識にこの自我にしがみつき、その存続や承認に明け暮れ、苦しみます。
心という形の無いものが傷つくことを本気で怖れたりするのもそのためでしょう。よく、プライドが傷つくと言いますが、そのプライドって、一体何処にあるのでしょう?「プライド」=「自分」というわけでもなさそうです。自分が傷つくのか、エゴが傷つくのか、プライドは捨てられるものだから、自分そのものとは違う…等々。
そうやって考えて行くと、自分という実体そのものが疑わしいものとして感じられます。「自分とは誰か?」この究極の問い自体が吹き飛んでしまうような感覚でした。自分という存在が無だとしたら、それを探す自分も探し出す存在もいなくなります。
それは、まるで釈迦の教えにある「色即是空」「空即是色」の世界そのものでした。

これまで、私が体験してきた神秘体験や、至高体験などは、精神世界への理解や成長のきっかけとはなっていましたが、永続した悟りや安定感をもたらすものではありませんでした。実際、成長は望んではいましたが、悟ることに対して、あまり意欲的ではなかったことから、これまでノンデュアリティを突き詰めようという気持ちになれなかったこともありました。
表現アートセラピー画像4しかし、人生の波を乗り越えていくうちに、沢山の夢を叶えても尚、人間とは悩みから抜け出せないものだということに気づきはじめていたのも事実でした。半世紀以上を生きてようやく、私の意識が釈迦が出家することになった問いにとどく背丈に長じたのかもしれません。

私(人間)が、この世で成すことなど大きな問題ではない。
私は、だんだん、そのような境地に立ちはじめていました。

それは、よく非二元の教えに辿り着いた人が世捨て人になってしまう現象とは、異なる感覚でした。マインドがエゴに支配されている状態から解放されている時と、「自分」を主張するエゴの存在が際立つ時。その両方の状態を自由に行き来することが出来るようになったことで、エゴに対する抵抗が少なくなって来ました。「ああ、またエゴね…」「今日はずいぶん子供じみているなぁ…」という感じです。
「楽になりたいから、悟りたい」のではなく、「悟っても、悟らなくても良い」という意識が起こりました。苦しみも、悟りも、とても近くにあり、そのどちらでも選択できる自由があるのみです。ならば、悟ったままでいればいいのでしょうけれど、悟ることが良くて、悟っていないことが悪いということもありません。
それは、自我と無我の隔てる垣根が取り払われた感覚でした。

表現アートセラピー画像5-1よく、悟りとは感情がなくなったり、ポジティブだけになるというイメージがありますが、それは悟りにつきまとう誤解です。解放が起こると、「ネガティブもポジティブもすべて在って良し」、という感覚になります。どんな感情もOKです。ただ、起こっている状態や感情、そして起こる出来事がすべて在るがままに受け入れられるような感覚です。何にも捕らわれなくなる(すべてが移ろうものとして捉えられる)ので、どんな感覚であろうとそんなに重要な問題ではなくなるのです。
問題を見て見ぬふりをしたり、抑圧して気にしないようにするのではなく、問題が「問題」として認識できなくなります。それは、まさにタオの世界観そのものでした。

禅やタオに興味を持ち、それらの概念をワークに取り入れたのは、今から12年前のことです。その深い思想に触れ、理解しようとすればするほど遠のく感覚と、「なぜかとても安心する不可解なもの」という印象を持ったことを思い出します。あれから時が経ち、今ようやくその不可解なものへと繋がる扉に再び手をかけたような感触がありました。

表現アートセラピー画像5そこで、私はあることを不意に思い出したのです。
「今年は、あなたにとってあらゆる意味で節目の年。今から12年前に決心したことや種を蒔いたことが、成就したり、完結するかもしれませんよ」
それは、一年前に沖縄でakiさんに告げられた言葉でした。

はて? 何のことだろう? 10年一昔といいますが、すぐには思いつきませんでしたが、少しづつ、当時の記憶を辿るうちに、いろんな記憶が浮かんできたのです。
タオのワークをはじめたことや、往年の夢を果たしたいと思ったのも12年前の出来事でした。本当に、その時に手探りでやっていたことが、深いところで熟して目の前に現れてきたのです。

往年の夢とは、前回書いた「忘れてしまった夢」のことでした。
忘れてしまった夢…と言うより、「終わった夢」という表現のほうが正しいのかもしれません。
それは、絵を描いて生きるという夢でした。子供の頃から、絵を描くことが好きだった私は、小学校の高学年には、油絵を描き始め独学でデッサンを習得し、何の迷いもなく芸術を学ぶ専門の高校に入学をしました。そのせいか、若い時の思い出はほとんど絵の具の匂いのするものばかりでした。
表現アートセラピー画像6日が暮れるまで、画材の匂いのするアトリエの片隅で、絵を描いて過ごしていたことを思い出します。
「描くこと」は、私にとって、日常の習慣となっていました。美大を卒業し、アートの分野で生き抜くためにはデザインの道しかないと思い込むと、しばらく企業に勤めながら、片手間の休日に絵を描く日々を過ごしていました。

その後、人生の転機を迎えた私は、デザインをやめて、もう一度純粋に絵を描くことを再開するためにニューヨークに移住することにしたのです。
結果的に、納得する絵を描く事が出来なかった挫折感だけを持って帰国してから、長い苦悶の年月が始まりました。技術的には描くことは出来たので、イラストレーターとして活動はしていましたが、どうしても自己表現としての絵を描くことができません。
その抵抗感は、白い紙を目の前にしてパニックになるほどでした。その一方、技術的に時流に合った絵を描くことができたイラストレーションの仕事は評価され、本の出版も実現するなど順調でしたが、それらの作品は自分の描きたいものではなかったのです。

私は自分の描く絵が嫌いでした。
そのため、人の描く絵を真似たり、アレンジをして作品を描くようになっていたのです。やがて、私は「絵を描く」というアイデンティティを見失いはじめました。

それでも、心のどこかで自分の「絵を描きたい」という気持ちが捨てきれず、思い切り大きな絵を描くことができるアトリエを持つことが代替えの夢となっていったのです。
表現アートセラピー画像7幸か不幸か、アトリエが完成し、代替えの夢が実現した時が、本当の夢が死ぬ時でもありました。
完成したアトリエで、私はニューヨークのステューディオの一室で悶々と過ごした頃と同じように、1枚も描けずに苦闘することになったのです。そして、私はとうとう悟ったのです。(悟りではなく、あきらめでしょう)

「私は絵が描きたかったのではないのだ」

描けないのではなく、描きたくなかったのだと気づくと、妙な安堵感が訪れ、解放されたような気がしました。最後に、画用紙に葉っぱの絵を1枚描いて、それを引き出しの奥深くにしまいました。
それを機に、全力を表現アートのワークショップに打ち込むことにしてから、表現アート三昧の人生がスタートしました。

表現アートのワークショップには、「絵を描きたい」「表現したい」と願う人達が集まってきました。絵を描くことを断念した私は、せめて彼らをサポートすることで、自分自身の「絵を描きたい」という心の奥深くにしまい込んだ渇望を満たしていたかもしれません。
実際に表現アートの持つパワーや面白さに夢中になれることで、「絵を描くこと」への渇望もなくなっていきました。その一方で、自分自身が何年も表現アートセラピーを体験するうちに、だんだんと絵に対する抵抗がなくなり、「絵を描く自分」というアイデンティティを取り戻しはじめていたのも事実でした。あんなに怖かった白い紙が怖くなくなり、「もう一度絵を描きたい」という衝動が戻ってきたのです。
表現アートセラピー画像8それは、葉っぱの絵を描いてから4年の歳月が流れたころでした。しかし、「もう一度、描いてみたい!」そう思っている自分が可笑しく思え、単なる思いつきだろうと、本気で取り合うこともなかったので、せっかく芽生えた希望はやがて息を潜めてしまいました。
それから更に12年という月日が流れて、私はとっくに「描きたい自分」は死んだのだと諦めていたのです。

あらゆることが結実する12年目の今年、再び「絵を描くことになる」というakiさんのメッセージは、心地良くない違和感(多分、怖れ)をもたらしました。
「ミイラになってしまった夢を復活させる意味が見つからない」というより、「もうあんな苦悶の時間を味わいたくない」という怖れが先立ったのでしょう。信じたくない気持ちから、メッセージのことは忘れていましたが、数ヶ月経ち、ペルーから帰国した私は、怖れに対するイメージが豹変していたのです。
「怖れや違和感があるところは、積極的に開けてみなさい」という考えに変化していました。

そうして、ある機会が訪れ、私は絵を描くことを再開することにしたのです。
当然、エゴはすぐさま反撃に訪れました。

表現アートセラピー画像9「また、描けずに苦しんだらどうする?」
「自分に満足する絵なんか描けるはずがない」
「もう失敗するのはこりごりだ」
「またアイデンティティのない絵を描くのか?」

エゴが紡ぎ出すストーリーは尽きることがありません。
しかし、この時すっかり非二元の意識に凌駕されていた私は、どうってことがない気がしていたのです。絵を描くなんて、壁を塗るのに等しい。それを、誰に評価されようと、批判されようと、まったく関係の無いこと。その時、私はそんな風に感じていました。絵を描くアイデンティティなど、もう私には必要ありませんでした。

ただ描くことは、ただ生きることと同じだったのです。

失敗しようと、(何が失敗かよく解りませんが)生きることは続いて行きます。
だから、やりたいと思ったことをやればいいのです。
「好きなだけ批判するといいわ…」たたみかけるように諭すエゴにそう言い返すと、私は一目散に画材を買いに出かけ、アトリエの倉庫の奥にしまい込んでいた薄汚れた白いキャンバスを探し出すと、一気に描き始めたのでした。

表現アートセラピー画像11すると、不思議なことが起こりました。
あんなにうるさかったエゴはシーンと静まりかえっています。まるで、眠りに墜ちてしまった赤ん坊のように…。あの苦しかった制作の時が、まるで瞑想の様な時間に変わりました。ただ、黙々と描くことだけに集中できる自分がとても新鮮でした。いいえ、新鮮というよりも、あの懐かしい感覚が蘇ってきたのです。

秋のはじまろうとするアトリエの部屋にただ響くのは、キャンバスを擦る筆の音。
その筆の音に重なるように、誰かの息吹が聞こえてきました。
気づくと、そこに絵を夢中で描いていた子供時代の自分が居合わせるような錯覚を覚えました。幻想なのかどうか今も理解ができませんが、それはかつて自分の中にあったあの懐かしい体感覚でした。
昔、インナーチャイルドと出会った時に見た小さな女の子ではなく、少し成長して大人びた目をした自分。それは、誰のためでもなく、何のためでもなく、ただ描くことを楽しんでいた自分でした。ただ今ここに在ることに夢中だった自分はまだ死んでいなかったのです。
夕日が差し込むアトリエで、私は彼女と肩を並べ黙々と絵を描くうちに、私達は一つに溶けて行きました。やがて、アトリエは15年ぶりに、自分の描いた絵で埋め尽くされたのです。
出来上がった絵に対する執着も、批判もなく、ただ描くことを実験するような楽しさで取り組めたことは大きな喜びでした。何よりも、あの「絵を描く自分」と再会できたことは、大切な思い出となったのです。

表現アートセラピー画像10そして、秋分の日を過ぎてからはじめての新月の日に、その時の感覚やこれからの人生への希望を込めて秋分のドリームマップを作ることにしました。その制作中に、引き出しの中にあった古い絵を見つけたのです。それは、16年前のミレニアム(2000年)の秋に描いた葉っぱの絵でした。「絵を描くこと」を決別することになったその1枚の絵を見つけた時、言い様のない感慨が涌き上がってきたのです。
あんなに描けずに苦しんでいたその当時のことや、「私は絵が描きたいわけのではないのだ」
というあきらめの境地に至った、「絵を描くこと」との決別の日のことが、昨日のことのように蘇り、また、すべてから解放されて「絵を描くこと」が楽になっている自分自身にも気が付きました。
そんな自分を癒やすために、私はその絵を切り取ってマップの中に貼り込もうとしたとき、ふと絵に記されたサインの日付に目が止まりました。それは、ちょうど15年前の同じ日だったのです!

当時、未来の自分が想像できるはずもなかったけれど、その未来を生きる今の私にはすべての時が今在るのだと思えたのです。
それは、夢の終わりと新たな夢のはじまり。
苦しみの終焉と、喜びの始まりでもありました。

古い観念に束縛された自分は、もうこの時に解放されたことを知りました。もちろん、まだ自分の中にエゴは残っているし、いつでもその感覚に戻ります。しかし、大きく異なるのは、自分がもうその束縛が幻想だということを実感できているという事でした。

表現アートセラピー画像12私がこの世で成すことなど大きな問題でもないので、葛藤も有頂天も和らいで行きました。でもロボットのように淡々として生きるわけでもありません。むしろ、ちょっとした葛藤や制限がゲームのルールのように感じられ、面白みをもたらす刺激のようにも思えるようになりました。
いつか、この制限もすべて無くなるのか、また苦痛として蘇るのかどうかも解りません。解るのは、すべてOKという世界があるだけなのです。

すべてとは、在るものすべて。
タオに生きるということは、ただ在るということ。
ただ、生きるという在り方。
そこに何の為という意味は存在しません。

自分(人間)とは、空の雲や海の波のように、現れては消えて往く変化する存在です。
変化しつづけるものには実体がありません。私とは誰でも無く、ただ在るタオそのものだったことを、宇宙が教えてくれたのです。

タオ(源)と私は一つでした。

表現アートセラピー画像13それでも、タオから離れ、真理を見失う自分もやはり存在し続けます。海に波が現れては消えるように。そんな自分が、これまで生き抜くために統合を求め様々な方法を探し求めて来ました。それが、絵を描く事や、表現アートや、インテグラル理論、マインド・デトックスの解放のワークでした。
もしも、私が分離の幻想を信じなければ、このユニークな人生は生まれなかったでしょう。

アヤワスカやサンペドロの巡礼の旅を終えて、還ったのは「いま、ここ」という世界でした。探していたものは、世界の果てではなく、ずっと変わらずにこの心の中にあった場所でした。すべての体験が夢の中で起こっていたように感じるのは、今以外が夢だと気づいたからかもしれません。
これからも人生は続いていくかもしれないけれど、自分というアイデンティティを求めて彷徨う探求は終わろうとしています。
自分が、誰であっても人生は変わらず流れて往くことがわかったから…。誰の為でなく、何の為でもなく、生きることはただ起こるのです。

表現アートセラピー画像14時間という幻想のストーリーの中で、このような体験ができるからこそ、人間として生まれて来ることを望んだのでしょう…。辛いことも、楽しい事も、すべてきらめく宝石のように心の宝箱の中に光つづけています。

その大切な人生の中で関わった人たち、そして、これから出会う人たちとが、深い源で一つに繋がっていることを思い出した今、そのすべての人生が美しく、素晴らしく、愛おしく思えます。

私はこれからも変わらず、生きることを楽しみにしていくでしょう。

終わらない物語を生きるすべての存在に
愛と感謝をこめて

おわり