【第3話】Dance in the Dark : 闇の使者と踊る- 月の秘薬アヤワスカと太陽の妙薬サンペドロを辿る

表現アートセラピー画像1乾期を迎えているはずなのに、アマゾンの森は今日も雨です。
乾かないままの水着はひんやりとして鳥肌が立ち、さすがにフラワーバス(浄化の水浴)をやめようかと思うほど。そんなヤワなことを考えるのは、私ぐらいかと思えば、皆同じようにしかめっ面で、覚悟しながらバケツの水を被っています。その姿は、まるで最近流行っているアイスバケツを被る有名人の様で、笑えます。
そんな苦行も、あと数日。この期間にどれだけの体験ができるのか、誰もが神経を集中しているようです。その夜は、怖れというよりも、それを越えていく期待で胸がいっぱいになっている自分がいました。

表現アートセラピー画像2セレモニーの夜、いつもよりも大きなショットグラスにアヤワスカの液体がなみなにと注がれると、私はマエストラの目をまっすぐに見つめ、一気に飲み干しました。
メディスンの苦みと、きつい匂いが身体全体に拡がります。席に戻り、静かに目を閉じていると、どうして此処に来たのか、なぜこんなことをしているのか、そんなことを考えることも無くなっていました。ただ、今ここに集中し、出来る事をやるしかありません。
思えば、そうやって人生など過ぎていくのでしょう。
私は、自分の人生が終わる時、今夜のことをどんな風に思い出すのだろう…。そんな雑念が泡のように湧いてはやがて消えて行きます。そんなことは、どうでもよいことなのだというように…。

表現アートセラピー画像3扉はやはり意識の右下のほうからやって来ました。
それはまるで、闇を携えて潜む使者のようです。
NLP理論を採用するなら、右下を見る反応は、体感覚を探っていると判断されます。もしかすると、私は無意識にそうしていたのかもしれませんが、この時はそんなことに気づく余裕などありません。ただ、意識の中でパルス(波長)が信号を送ってくるように、光るそのイメージに顔を背けていることが難しくなり、やがて私はその扉に吸い込まれるように入って行ったのです。

すると、たちまちあの残像のような幾何学と、訳の分からない映像が現れました。ギシギシと音をたてて廻る観覧車。光の粒と水しぶき。螺旋を描きながら飛ぶ鳥や虫。そして、色とりどりの銀河系。
しかし、今回は落ち着いてそれを眺めている自分が居たのです。それらのビジョンは、まるでわけのわからない夢にも似て、不気味ではありますが、もう恐ろしさはありませんでした。

表現アートセラピー画像3「私は一体何を怖れていたのだろう?」

あんなにも自分を怖がらせた奇怪なパノラマ映像は、ただそこに在るだけで、私に触れることはありません。意味の分からない混乱も、それさえ手放せばいいのだという、解放のテクニックを使っているうちに消えて行きました。
もしかすると、人間は怖れているものを本当に見ているわけではないのかもしれません。
なぜなら、怖れるものを見つめる時、その怖れは無くなるといわれているのです。
マエストロ達がイカロを歌い出す頃には、私は完全に落ち着きを取り戻していました。

朝、ホールで目覚めると、気分はさっぱりしていましたが、身体が重く、特に腹部に違和感を感じていました。だんだんと胃のあたりを締め付ける痛みが拡がり、やがて我慢できないほどの痛みに変わっていきました。それは昔よく味わった胃痙攣のような症状だったので、それほど不安はなく、しばらく床に横たわっていることにしたのです。
朝のハーブ水を飲むことも辛いことをスタッフに伝えると、マエストロのヒーリングを受けるように促されました。

表現アートセラピー画像3マエストロは、患部に手を触れると、しばらく優しくマッサージをしてくれた後、アクア・デ・フロリダというフラワーエッセンスが入った水を口に含ませながら、腹部の痛みを吸い出すような仕草を始めました。 不思議なことに、マエストロが吸い出すと、お腹の痛みが外に吸い出されるように出て行くのです。
痛みを吸い上げると、マエストロは口に溜まったフロリダ水を外に吐き出しに行きます。まるで、吸い取った痛みを、吐き出しているように…。(痛みは毒素なのかもしれません!)
やがて痛みと共に、私の中に抑え込んでいた悲しみと涙が、堰を切ったように溢れてきました。

表現アートセラピー画像3その瞬間、私は何故か「助かった…」と、心の中でつぶやき、安堵したのです。そして、すべての抵抗を手放すと、まるで子供のように泣き続けました。傍らで、マエストロがイカロを謡っているのが聞こえます。それはまるで、赤子に謡う子守歌のようでした。
アマゾンにやって来てから1週間以上が過ぎていました。あらゆる環境の変化や、思いがけない体験の中で、気力も体力も限界に達していながら、なぜか泣くことができずにいたのです。この時は、そのブロックが外れて、泣くことを自分に赦すことができたことは、私にとって大きな救いでした。

なぜか、その時、父の魂が傍らで座っているような気がしたのです。私は泣きながら、子供の頃亡くなった父親のことを思い出していました。私は父に逢いたかった寂しさをぶつけるように泣いていたのかもしれません。そんな自分の反応が意外でした。
表現アートセラピー画像4長年、こころについて学び、これまで何度も、父親のことをセラピーで取り組んで解放してきました。その甲斐あって、ほとんどの悩みは無くなっていたはずなのに…。
深い緑の自然の中で、心と身体そしてスピリットが繋がると、遠い記憶が蘇ってくるのでしょうか? あらためて、父の喪失によって出来た傷がこんなに深かったことに、気づかされました。

どれくらい時間が経ったのでしょうか。気づくと、お腹の痛みはすっかりと無くなっていたのです。
思えば、これほど深いヒーリングを受けたことはありませんでした。セラピーという仕事を生業にして、科学よりもスピリチュアルに興味をもちながらも、心のどこかでヒーリングを否定している自分がいたのかもしれません。しかし、これほどの極限に追い詰められた私の心と身体は、もはや自力で復活するのは難しく、ようやくヒーリングを受け入れることを赦したのでしょう。アマゾンにやって来てから感じていたすべてのストレスや悲しみ、寂しさが一気に流されていきました。

表現アートセラピー画像5ほどけて行く身体の痛みと共に、心も溶けて行ったのです。
こうした体験をもたらしたのも、もしかするとアヤワスカの浄化の力なのでしょう。そして、その浄化の余波は、アマゾンに来る前から始まっていて、ここから去った後も、続くのだという確信が湧いてきました。

この体験を、参加者の友人に伝えると、とても興味を示してくれました。 彼は、このリトリートに何度も参加している強者で、本国のアメリカでは、サイコセラピストとして経験を積んでいる人です。
「それは、きっと深い心の扉が開かれたのだろうね。せっかくだから、もっと先にいってごらん」
もっと先? これよりも先があるっていうの?
不思議に思って尋ねました。

「そのビジョンに触れてみるといい。そして、それと一体となるんだよ。すると面白いことが起こるから」そう云いながら、彼は手を宙にかざして、揺らすような仕草をしました。まるで、何かとダンスしているみたいに…。すると、私は気づきました。

「そうか、幻想に触れて、それと一緒に踊ればいいのね?」すると、彼は「わかったんだね」と云うように、ニコリとウインクをしました。

セレモニーの最終日の夜は、素晴らしいエピソードから始まりました。
誰からともなく、抱擁が始まり、気がつくとすべての人と抱き合い、お互いの幸運を讃えあっていました。ホール全体が大きな愛のエネルギーで包まれ、一つになった瞬間でした。誰もが自分の怖れと闘い、希望にむけて飛び立とうとしている仲間なのだと感じていたのでしょう。

表現アートセラピー画像6その夜、暮れて行くホールで最後のセレモニーにむけて、1枚の絵を描きました。
微かな光が花弁のなかに包まれて流れて行く百合の花のような絵は、すべての極が一つに統合していくように見えます。

ビジョンは、またあの幻覚から始まりました。
私は、もうこの時すべてをゆだねるつもりでいたので、安心しながらその幻想を眺めることができました。そして、そのパノラマのベールに触れるようと近づくと、いつのまにかその中に吸い込まれ一気に外側に飛び出していたのです。予定では、もっと幻想と一体になるつもりだったので、拍子抜けした自分が居ました。その闇を突き抜けて出た場所は、まったく何もない「空」の世界でした。

何もない世界の中で、私はたった一人でした。
そして、何も怖くなく、そして何でも出来る事を知っていました。
ふと思いつき、望むビジョンをイメージしてみると、一瞬でその場に求めるものがやって来ました。物も人も、状況も、難なく現れます。
それはまるで、自由自在に創造できる白日夢のようでいて、もっと実感のあるものでした。闇の中に漂う幻想とは違って、触れて、味わうことができるものだったのです。
私は何でも望むことができ、それを受け取ることができました。
望む物は、怖れるものを越えたところに在るのだ…。この時、強くそう思いました。
いいえ、怖れるものなどないのですから、どんな扉も開くことが出来るのです。
それが、創造の原理なのです。

朝目覚めると、昨夜描いた白い花の絵がありました。
それは、私が生命という一つの有機体として、この世の存在していることを証明してくれているように見えます。花は、私に「あなたは、足りない物など何も無いエネルギーなのです」と教えてくれているようでした。統合とは、自分の在るがままのすべてを思い出すことなのだと、この時気づいたのです。
この森で過ごした時間はまるで自分の闇を深く彷徨い、洞窟の出口を見つけたような体験でした。それでも、たぶん私は潜在意識の宇宙の端っこで迷っていただけなのかもしれません。
この日の太陽のような光を求めて、さらに旅は続くのでしょう。

表現アートセラピー画像6アマゾンで過ごす最後の日は、まるでギフトのような晴天でした。
ぬかるんだ泥の道を何キロも歩き、ボートとバスを乗り継ぎ、ようやく咽せるような暑さに包まれたイキトスの街に到着すると、私は馴染みのある幻想の砂時計の世界に戻ってきたような、落胆と安堵感に包まれていました。
久しぶりの熱いシャワーを楽しみ、清潔なシーツの中で眠りに落ちる時、「もう、これで修行は終わり…」とつぶきました。それが、つかの間の休息だったことを、この時の私は知らなかったのです。(つづく)