海からの贈物

引っ越し先の本棚に本を並べていて、ふと一冊の本が目にとまりました。
海からの贈物 (新潮文庫)
という、小さな随筆集。

著者のアン・モロウ・リンドバーグは大西洋単独横断飛行の成功者チャールズ・リンドバーグの妻として知らせていますが、今から約50年以上前に書かれたこの本を読んだとき、まるで時代を感じさせない成熟した意識と剣のような潔い意志を感じ、その本を読んでから、いつしか海のすぐそばで暮らしてみたいという願いが生まれました。アンは著書の中で、海にちなんだエピソードを自分自身の内面を自問するような切れの良い文章で表現しています。

彼女にとって海とは、影響を受けた世界そのものであり、沢山の恩寵をもたらした海に向かって自分自身が受け取った収穫を感謝とともに還すという言葉を残しています。

本には、彼女が休暇を過ごした海で思ったことが綴られています。
都会の喧噪を離れ一人過ごす海辺で彼女は、あらためて現実の生活について深く想いを巡らせています。
海は、都会を忘れるための厭世的な要素を持つ場所ではなく、反対に自分という世界と向き合うための大いなる対話の場のようなものだったのでしょう。

表現アートセラピー画像1不思議と、山や海が持たらす空気は、自ずと自分自身の深い場所を探るような力をもっているようです。彼女の考えに触れてみると、ふと文化的生活のもたらす価値観のいかに脆弱なものかを思い知るのですが、これが1960年代という封建的なアメリカで書かれたものだということが何よりの驚きです。
21世紀の今もなお、私達は同じような窮屈な現代社会のルールに阻まれている感じがするのです。

そんな影響など忘れてしまっていたのですが、今改めて海のそばの家の本棚にこの本を見つけたとき、なんだか昔を懐かしく思い出しました。

私はこんな風に、いくつかの本との出会いをきっかけに、人生の進路の舵を取って来たように思えます。H.D.ソローの「森の生活」に出会い、その静けさにあこがれ、ついに森のアトリエを創る夢を叶えたあと、海へ還るシナリオを書き始めたみたいに。

これからは、山と海を行き来しながら、東京でのワークをこなす日々がはじまります。

先週末は楽しみにしていた秋の専修講座をスタートさせました。東京で会う人達との時間もとにかく濃密であっという間に2日間のワークを終えたあと、残る仕事を片付けるため、車を飛ばして海の家に帰りました。

私にとって生活の場、空間はとても大切な意味をもっているようです。

表現アートセラピー画像3「海からの贈物」の中に、ほら貝について書かれている章を読むと、シンプルな暮らし向きについて書かれていて、いかに自分が多くのものに埋もれているかを反省しながら、いつかこんな居心地の良い空間に流れ着くことを夢見たりします。

海に棲むというアイデアはそんな訳で昔からあったのですが、山の家と山ほどの仕事に追われていて忘れていました。 今、波の音を聞きながらこうして書き物をしているとき、棚上げして忘れていた課題を一つこなしたような、安堵感を感じているのです。

※本書は初代翻訳の吉田健一訳と、1970年代にアン・リンドバーグ自身が加筆した文章を紹介している落合恵子訳のものとがあります。読みやすいのは落合さんの文章ですが、原著に近いのは吉田訳の方だそうです。