観るということ

何かの目的を持って行動しているとき、人間は集中していきます。
たとえば、目的を達成するためのプロセスに意識を集中するからです。絵を描くとき、人間は描く対象を決めたら、その対象に意識を向け、観察することから始めます。この観察の眼が、瞑想の観行に良く似ているのです。
集中して絵を描く状態は、まるで瞑想している時のモードそのもの。しかし、ただ描けばその状態になるかというと、そう簡単ではないようです。

たとえば、瞑想していて、思考が忙しく働いてしまった結果、無心の状態になることが出来ないケースなど。そうなってしまうと、正確に物を捉え、描くことが難しくなります。絵を描くときも、この葛藤を超えないと、いわゆる無心で絵に集中することが難しくなります。

絵を描くとき、鉛筆をひたすら動かす手の動作は、作品を完成まで導くための、いわば大切なプロセスです。その動作は観察する眼によって導かれます。観察する眼は、物事を善し悪しでジャッジしてない状態の眼です。

表現アートセラピー画像1私達の目は、目の前にある物事、または静物などを見つめるとき、ただ観るという行為を超えて、眼ではない心の眼で見つめることのほうが多いようです。

心の眼は、つねに思考と繋がって、純粋に観ている物を捉えることはせず、考えやイメージのほうを重要視してしまうようです。そうして、在りのままを捉えることが難しくなってしまいました。

それは、なぜでしょう?私達は観念的に生きること、つまり物事に必要以上に意味を見いだすことに慣れてしまったのです。絵を描いているとき、対象をうまく写し出すことが出来ているときは楽しいものです。それは、今ここで、在りのままの状態を受け入れやすい状態だから。

表現アートセラピー画像3しかし、うまく描けず、形が狂っているように見えたらどうでしょう?同じ描くというプロセスの中で、皆が経験するのは、「うまく描けない…」という、いらいらした気分です。それは、自分の描いたもの(自分の眼の捉え方)が、出来なかったという証です。それは、まるで、自分に降りかかった望まないアクシデントと同じ感覚かもしれません。

しかし、自分が望まないことが人生に起きたとき、別に「あなたは、ここで滞って先にいけない」ということを示しているのではありません。また「あなたは創造者として失格だ」ということを教えようとしているわけでもありません。
そうした状況は、意識の中に、『在りのままを観る眼を遮る観念がある』ということを見せるために起きているのだとしたら…。私達の目は、実に多くの既成概念や、先入観によって惑わされてしまっています。

表現アートセラピー画像4そんな錯覚をとりはらい、どこまで純粋に、目の前の物と向き合えるか?それが今回のプロットメソッドのテーマでした。
その意識の向け方、思考のプロセスについて、このワークを通して、気づいていくために、ひたすら卵を見つめたり、人物のポーズを写し取って行きました。参加者のすべてが、思うように描けない葛藤を通して、なお様々な気づきを導きだしていた姿には、本当に感動させられました。

ワークショップの場は、人生と似ています。人生とは、自分を知るために、そして「こうありたい」と願う自分の意志を実現するためにあるのではないか、と思うのです。
ワークショップの場は、そんな人生の中で生きる自分を想いを写し出し、見つめる場であり、何よりも自分らしさを確認するための大切な機会になるはずです。
表現アートセラピー画像5観る(観察する)という行為から、私達が体験できることは無限です。

ところで・・・。
観察と言えば、今年の7月の22日は、日本では実に46年ぶりの皆既日食が起こりましたね!皆既日食が観られるのは、日本では奄美大島周辺なので、私が住む東京では部分日食しか観られません。日本で日食が観られる…、こんなチャンスはなかなか訪れません。
なんとか、この眼で観てみたいものです。

ところが、奄美大島への皆既日食ツアーはなんと、30万円以上するらしいのです。あっさりと奄美へのツアーはあきらめて、東京での観測を楽しむことにしました。しかし、この日の東京は朝から降り続いていた雨はやんでいたものの、予定の時刻はあいにくの曇り空。

でも、気を取り直して、数日前から楽しみにしていた世紀の瞬間を目撃するために、ビルの屋上までショートツアーへ出発することにしました。曇りでも、太陽の光の変化を感じることができるかもしれません。

水びたしの屋上で、何の変化も起きない雨雲を見つめながら、心の中に新月と太陽を思い浮かべ、新月の願い事をしていました。しばらくすると、ぼんやりと空の色が変わってきました。観ると、うっすら雲が晴れて、その合間から日食が始まっています!

表現アートセラピー画像8

これには、本当に興奮してしまい、それこそ新月のお願いも忘れて、大騒ぎ。(笑)うっすらと雲が在ったおかげで、日食グラスなど無くても、肉眼で日食を見ることができたのです。

※肉眼では本当は見てはいけないそうです…。

あきらめないで、ツアーを決行した甲斐があったというもの。神秘的な光と影の織りなすドラマは、本当にワクワクと心躍る生まれて初めての体験となりました。